
さあ来週は月曜日から山鉾の組み立てが始まり、週末には前祭の宵山がやってきます。いよいよですね、楽しみです!
前回は前祭の日程をまとめてみましたが、
今回は後祭についてです。
ちなみに・・・
・・・このブログでは祇園祭の「難しい話はしません」。祇園祭はとても難しい…です...。
宵山や巡行に行く直前に知っておくと、少なくとも
全部の山鉾が同じに見えてしまう事は無いような“ざっくりまとめ”が欲しい!
と思ったことが、このブログを書くきっかけとなりました。
ざっくりしているけど”ここは細かく知りたい”という部分は、出来るだけサクッとわかるように工夫しながら載せていこうと思います。
後祭は10基だけなので日程と詳細まで一気にまとめてみます。
後祭は山鉾の数は少ないですが、それぞれがとても個性的なので見ごたえ十分です!
「にぎやかな前祭、ふれあいの後祭」
だそうです・・・(。´・ω・)ん?
が...
後祭も年々賑やかになっていってます。
<祇園祭・後祭の主な日程>
【7月18日(火)、19日(水),20日(木),21日(金),<22日(土)宵々山><23日(日)宵山>≪24日(月)巡行≫】
【山鉾建て】7月18日(火)~21日(金)。大体朝8~9時に開始され、お昼頃には完成
※くぎを使わず縄と木だけで組み建てていく伝統技法「縄がらみ」、その素早く正確な職人技は必見!
- 18日(火):大船鉾7am-
- 19日(水):北観音山6am-、南観音山6am-、鯉山9am-。(南北観音山では13時頃から”松取り式”)
- 20日(木):役行者山8am-、八幡山8am-、鈴鹿山8am-、浄妙山8:30am-、黒主山8am-
- 21日(金):橋弁慶山8:30am-
【曳き初め、舁き初め】
※所要時間:30分から1時間
※御神体などをのせた“完成形”でのテスト運転(辻回しは無い)
※“完成形”を間近で見るチャンス
- 20日(木)15時頃~:北観音山、南観音山、大船鉾。(16時頃~八幡山?←要確認)
- 21日(金)11時頃~:橋弁慶山。唯一“舁き”初めをする舁き山(かついで運ぶ山)。
【会所の一般公開(グッズ販売、一般搭乗)】
- 宵山期間の21日(金)~23日(日)の9時頃~20時頃に公開され、22時頃には後片付け、という感じでしょうか。並ばなきゃいけないこともあるので、早め早めがおすすめです。
- 後祭りで登れるのは、南観音山と大船鉾だけです。
◇◇◇
※後祭は歩行者天国にはなりません。道路規制もほとんどありません。
(※前祭は歩行者天国になります!が!!山鉾周辺の通りが「一方通行」になります!)
→参考HP:京都府警<臨時交通規制>http://www.pref.kyoto.jp/fukei/kotu/kisei_k/rinji_kisei/
◇◇◇
◇◇◇
22日(土)宵々山 (見学は朝8時くらいから)
出店(露店)はありませんが、近くのお店が店頭販売をしてくれます。
18時くらいから御囃子が始まります。
御囃子があるのは、北観音山、南観音山、大船鉾、そして<鷹山>です。
(※鷹山は休み山で山はありませんが、御囃子、売店、会所での御神体の一般公開は復活しています。)
◇◇◇
23日(日)宵山 (見学は朝8時くらいから)
出店(露店)はありませんが、近くのお店が店頭販売をしてくれます。
14時頃~ ≪護摩焚き(役行者山での祈祷の儀式)≫(修験道大本山聖護院の山伏姿の僧侶による)
18時くらいから御囃子が始まります。
御囃子があるのは、北観音山、南観音山、大船鉾、そして<鷹山>です。
(※鷹山は休み山で山はありませんが、御囃子、売店、会所での御神体の一般公開は復活しています。)
22時頃~ ≪日和神楽≫(それぞれの御囃子方が行列をなして御旅所(四条寺町)へ祈願しに行く。)
23:30頃~ ≪あばれ観音(南観音山)≫
・・・最後に一気に”暴れて”、騒がしい町を巡行のために鎮めます。(次の朝の巡行で、観音様が鎮座してもらえるように、御神体の観音様を縛り付けたみこしを担いで激しく揺らしながら町内を走る儀式。)
◇◇◇
24日(月)
山鉾巡行: 9:30~
花傘巡行:10:00~ (後祭りが無かったころ、祇園祭後半を担当していた女性(芸舞妓さんなど)や子供メインの”パレード”。後祭りが復活した今も行われている。)
還幸祭: 17:00~(神輿3基が“出張中”の御旅所から八坂神社に戻る)。
◇◇◇
<これら以外にも、宵山期間中には、名家の屏風などお宝が公開されたりと細かい行事はいろいろあります。>
◇◇◇
<<2017年の後祭巡行順序>>
()は前後合わせた時の順番。【】はくじ取らずで固定。
- 1(24): 【橋弁慶山】真松なし山篭なしの八方正面)
- 2(25): 【北観音山】 (曳山)<上り観音><豪華絢爛><楊柳観音菩薩><韋駄天><柳の枝>
-
- 3(26): 鯉山(後祭・山1番) <登龍門>
- 4(27): 役行者山 <修験道・聖護院の山伏の開祖><護摩焚き><鬼の姿にされた女神?>(えんのぎょうじゃやま)
- 5(28): 八幡山 <二羽のハト><鳥居の奥に八幡神=武神=応神天皇(存在確認できる初代天皇)、神功皇后の子> <八坂神社の山に別の神社(石清水八幡宮)が乗っている>
- 6(29): 【南観音山】 (曳山)<下り観音><あばれ観音><楊柳観音菩薩><善財童子><柳の枝>
-
- 7(30): 鈴鹿山 <(女)神・瀬織津姫命の悪人退治>
- 8(31): 浄妙山 <浄妙坊と一来法師(源氏側)><宇治川の合戦><勝ち運>
- 9(32): 黒主山 <歌人・黒主><桜(魔除け邪気除けの力)><能の謡曲「志賀」>
- ・10(33): 【大船鉾】(殿) く「凱旋」船鉾><狩衣(公家の日常着)の神功皇后><安産>
-
- ※2014年に150年ぶりに正式復活。
- (休み山:鷹山: 御囃子方は復活している)

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
休み中(居祭)の山鉾は残り2基:
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
- 布袋山(前・舁)
- 鷹山(後/籤取らず・曳)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
※<鷹山>:(三条室町西入ル)。後祭の曳山。
御囃子を伴い、くじ取らずの後ろから2番目を巡行する大きな曳山だったが、1864禁門の変で御神体以外のほとんどを焼失。元々は1467応仁の乱以前からある。
鷹匠・中納言行平卿(在平行平)が犬飼とお供を連れて鷹狩りをする様子。
鷹を手にもつ鷹匠、犬を連れた犬飼、”真ん中で”座って粽を食べるカラクリ人形の樽負(お供)
と盛りだくさんな山。
(初期には真松の根っこにキジもいたとか。)
2014年に囃子方の結成(約200年ぶり)、2015年に正式な保存会が発足したばかり。
今年は去年同様、宵山期間中に、お囃子、グッズ販売、御神体や復興のために寄贈されたタペストリー(鷹の絵)などの一般公開などがある。 お囃子の詳細な時間はまだわからないが、去年は17時から21時にかけて3回か4回の“公演”が行われていた。
◇
◇
◇
(※<布袋山>は”前祭”の舁き山(蛸薬師寺室町西入ル)。250年以上前に飾り山(巡行不参加)となり、1788年の大火で御神体((七福神の)布袋尊と二童子)以外焼失、休み山へ。10年ほど前にレプリカが作られ、?前祭”の宵山期間中に、御神体と共に会所に展示される。売店あり。お囃子は無い。「子孫繁栄」。)
下の写真、どれがどれだかわかるかな~~??
▽▽▽ 以下、後祭の山鉾についてのちょっと詳しめのメモです。 ▽▽▽
【1】橋弁慶山:
- 後祭り巡行の先頭を務める、いろいろユニークな山。
- モチーフは超有名な弁慶と牛若丸の出会い場面なので、説明はいらないと思いますが、直接はたぶん”能”から来ていると思います
-
- (日本で昔、能が流行っていた時代に山鉾は数多く作られたり”進化”したりしているから)。
- 舁き山なのに真松も山篭ものせていない八方正面で、五条大橋で弁慶と牛若丸が戦う場面の、アクロバティックで精巧に作られたな人形(御神体)が乗る&見所。おそらく500年以上前に作られていることを考えると、すさまじい技術だと思います。
- 弁慶の力縄を買って【心身壮健】のご利益を!
【2】北観音山:
- 後祭のエース的な、山鉾33基の中でも1,2を争う「豪華絢爛」な、鉾と同じくらいのサイズの曳山。
- その昔町内に豪商などが数多く住んでいたことからこれだけの山になったとのこと。
- ここ数年は毎年何かしら装飾品を新調していて見事なものばかり。
- 屋根の上にそびえたつ赤松(真松)に尾長鳥がとまっている、山の後ろに柳の枝を垂らす。
- 御神体は、 右手に柳の枝を持つ <観音様(楊柳(ようりゅう)観音菩薩)> と 脇侍(きょうじ)(補佐役のような立場)の守護神・ <韋駄天>の立っている像。
- 仏教において、観音様は必要に応じて33”変化”すると言われ、楊柳の姿は「病からの救済を使命」としている、つまりお医者様モード。なので楊柳観音さまに<無病息災・疫病退散>をお祈りするのですね。
- 韋駄天は、輪廻転生における六道・天部の四天王に仕える三十二将の首位の守護神(護法神)。
◇ ◇ ◇
- ・・・(以下、仏教などのことがよくわからなかったので少し調べた結果です。間違ってるかもしれませんが参考まで、一応載せておきます。)
- 仏教には、インドで創始された原始仏教の小乗仏教(自利・要出家)と、そこから派生し日本にも伝わった「大乗仏教(利他、菩薩信仰)」がある。
- 最高位は「如来(悟りを開いたもの、ブッダ。仏教創始者のシャカ)」
- 菩薩は大乗仏教において「他者を救うことで自身の悟りを開くことが出来る」という利他的で慈悲深い、菩薩信仰における”修業中”の神様(?)。如来になることは約束されているとされるが、現世にとどまり庶民生活を助け守る”身近な”聖人。
- 如来は理想的な完成形だが少し遠い存在なので、大衆には菩薩信仰の方が広まった。
- 誰でも知ってる菩薩には、観音さまのほかにもお地蔵さんなどがいる。ガンジーやマザーテレサは生き菩薩と呼ばれた。
- 如来、菩薩、明王の下に、六道・天界の神々がいる。
- 全部神様だが、、、六道は輪廻転生を繰り返す世界で悟りを開かないので、如来や菩薩の下位となるらしい。
- その六道・天界には東西南北にそれぞれ守護神がおり四天王と呼ばれる。四天王にはそれぞれ8将が仕えており、その全32将のうちの首位にいるのが韋駄天(護法神)。
- 六道・天界の下位にその他の神様(七福神など)がいる...そうです。
むむっ?
ォォオオオォ~(゚Д゚ノ)ノ
難しい... わけわか、、いや!
・・・何にせよ、
・・・・・・何も知らなくても、
北観音山は感動する美しさです!
南観音山と合わせて見学すると更にすばらしいでしょう。

【3】鯉山:
- さあ、今年の後祭り山1番に選ばれた<登龍門>をモチーフにした鯉山です。竜門の滝を登る巨大な鯉の像(ご神体)が山の上にドーンと飾られます。
- モチーフも御神体もとても分かりやすい山なので、もともと山1番じゃなくても人気のある山で、早い段階で粽も売り切れます。
- 【立身出世】のご利益。
- 16世紀に作られたのに、特殊な技法のおかげで退色していないタペストリーは、その時代の色使いなどをそのまま残すことに成功していて必見です。
- 会所は細なが~い町屋の奥の奥にあって、必ず行列ができると思います。
▽ ▼ ▽
【4】役行者山:
- 役行者(本名:役小角)は、修験道(=仏教+山岳信仰)の開祖。飛鳥~奈良時代に実在したとされる人物。
- その他のこの山のキーワードは<鬼神と女神><護摩焚き><巡行に聖護院の山伏><「交通安全」>
- この山のモチーフは、これまたちょっと分かりにくいお話なんですが…
- まず、役行者(えんのぎょうじゃ)というのは、飛鳥~奈良時代に実在したと伝えられる奈良出身の賀茂一族の呪術者です。日本への仏教伝来のころの人です。
- 日本古来の山岳信仰を仏教に取り入れた修験道(しゅげんどう)の開祖であり、生き菩薩と呼ばれた一人だそうです。修験道の本山は聖護院だそうです。なので聖護院の山伏が巡行に参加するんですね。
- 鬼神をも従えるほどの呪術を使えたそうです。
- ※山岳信仰とは、山を神聖視し崇拝の対象とする、雄大かつ厳しい自然を圧倒的に畏れ敬い、自分たちの生活を律する考え方。 ※修験道では、悟りを目指し山籠もりで厳しい修行をした”山伏”が、修行で吸収した山の霊力を大衆庶民に授ける。
- そして、この山の物語は…(おそらくこれも能の演目?から来ていると思いますが)
- 葛城の国(現在の奈良県?)を守る一言主という神(女神)は、ある時天皇を怒らせてしまい、鬼のような醜い姿にされてしまいました(鬼神?)。そのため、自分の醜さを隠せる夜しか活動しませんでした。
- そんな頃、呪術者・役行者がこの地に大きな石橋をかけたいと思い付き、鬼神たちを集め使役します。
- しかしこの地を守護する一言主神は夜しか活動しなかったため、なかなか橋を作ることができませんでした。
- このことに気が付いた役行者は、もっと働けと催促したのですが、一言主は不満を抱き、天皇に、役行者が何か企んでいると告げ口し、役行者は流刑されてしまいます。
- これに激怒した役行者は、呪法で一言主を縛り付けてしまいました…
- …というお話です。 ここからご利益の「交通安全」にどうつながるのかはわかりません...
- 御神体は3体なので幅広い山 です。役行者 ・一言主神(鬼の姿) ・葛城神(おそらく女神で、一言の主の本来の姿と思います)
- 山鉾の中で一番北の町に飾られます。あまり目立たないところです…
- 宵山での護摩焚きと巡行には、聖護院の山伏がやってきます。
▽ ▼ ▽
【5】八幡山
- <2羽のハト>
- 山の上に八坂神社とは別の神社(石清水八幡宮)が飾られている珍しいケース。
- <御神体=八幡神(=武神=応神天皇(第15代天皇)=神功皇后が出陣・凱旋船鉾で身ごもっていた子=実在が確認される”実質日本最初の天皇”(=大阪にある前方後円墳で有名な仁徳天皇の父)=武神として、特に源氏に厚く信仰された>
- ご利益は「夜泣き封じ」「夫婦和合」「子供の健康」
- (編集中...)
▽ ▼ ▽
【6】南観音山
- 北観音山に負けず劣らずの華やかで大きな曳山で、一般搭乗できる。日が暮れるとろうそくがともされ、幻想的な雰囲気になる。
- 北観音山と同じく御神体は楊柳観音。そして観音様に教えを乞う善財童子
- (観音様は性別を超えた存在だが、)北観音を男性的な”上り観音”と呼び、南観音を女性的な”下り観音”と呼ぶ。
- 女人禁制の北観音山に対し、南観音山は女性も搭乗できる。
- 宵山の夜23時頃からの「暴れ観音」が見所。興奮状態の町を最後にドンっと盛り上げて静め、巡行の朝は静かに清らかに…という感じだそうです。
- <楊柳(ようりゅう)観音>・・・右手に柳の木。
- <善財童子>
-
- ・・・モチーフは、日本に伝わった仏教、大乗仏教(菩薩信仰・大衆信仰)の一つ華厳経の説話「入法界品(にゅうほっかいぼん)」。
- 善財童子という少年が(僧侶になるべく)寺院に入ったところ、文殊菩薩さまから「南方にいる53人の聖者(仏教の正しい道理を教え導いてくれる徳の高い指導者たち)を訪ね指導を受けてきなさい」と教えられます。
- その教えに従い菩薩道修業の旅を開始、その53の指導者のうちの27番目が楊柳観音菩薩でした。
- この山の御神体は、善財童子が観音様に教えを受けている場面。
-
- 繰り返しになりますが、ようりゅう観音は”病から人々を救う”神様です。 (※祇園祭は1年間の無病息災・疫病退散を祈願する神事です。観音さんが33の化身の内、”楊柳”の姿で現れているのはそのためだと思います。)
- この南への旅は「指南」という言葉の語源と言われています。
- 「東海道五十三次」はこの説話の53という数字からきているそうです。
- 北観音と同じく、山の後ろに柳の枝をかざります。 この柳の枝の葉は巡行後に会所前でお客さんに配られます。この柳の枝には観音様の力が込められており、無病息災・疫病退散のお守りとなります。
▽ ▼ ▽
【7】鈴鹿山
- 役行者山と同じく一番北の町ですが、こちらは御池烏丸近くの烏丸通り沿いというすごく目立つ場所に飾られる。
- 会所は迷路のような町屋で面白い。
- <瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)>
- <「盗難除け」の絵馬>
- 鈴鹿峠(旧東海道の難所)で盗賊(鬼)退治をした鈴鹿明神・瀬織津姫命(女神)の伝説がモチーフ。
- 能面をつけ、金の烏帽子をかぶり、大長刀を持っている勇敢な姿の御神体。
- (編集中...)
▽ ▼ ▽
【8】浄妙山
- <源平合戦の「宇治川の戦い」>
- <浄妙坊と一来法師><=追手の平家の大軍に、少数精鋭で立ち向かった源氏の僧兵たち><英雄伝説?>
- <劣勢だった源氏が盛り返し勝利するきっかけとなった戦い(鎌倉時代へ)>
- <「勝ち運」のご利益>
-
- 平家物語の「宇治川の合戦」で、後方で戦っていた一来法師が、追手の平家の大軍を相手に(最前線で)果敢に戦う屈強な僧兵・浄妙の頭の上を飛び越えて先陣を取る場面。
- 一来法師は討ち死にし、浄妙坊はかろうじて逃げ延びた。
- この勇敢な戦いがきっかけで源氏が盛り返し、結果として平家を討ち鎌倉幕府が開かれる流れとなる。
- 橋弁慶山と同じく、生き生きと迫力あるアクロバティックな人形が見所。とても精巧に作られている。

▽ ▼ ▽
【9】黒主山
春さめのふるは涙か桜花
散るを惜しまぬ人しなければ
- 平安時代の六歌人の一人、"大伴黒主(御神体)"が古今和歌集に残した短歌で、謡曲「志賀」の一場面を表している。桜を思う日本人の心を歌っています。
- 「能」でよく取り上げられていた謡曲「志賀」がモチーフ。 世阿弥の作とも伝えるが作者は未詳。
散り始めた桜を眺めていると春の雨が降ってきました。
この雨は桜の花が散るのを惜しむ私たちの涙でしょうか。
- 謡曲「志賀」の内容は、、、
-
- 朝廷に使える若者(臣下)が、近江国志賀の山に花見にきたところ、桜の下で、木こりの老人と若者に出会いました。
- 老人は重い薪に桜の枝を添え、桜を見上げています。
- 臣下は、”花見のために(花を愛でる心あって)休むのか、薪が重くて休むのか”と尋ねると、老人は、”身分不相応ではあるが、(こうして桜を見上げながら)春雨で散りゆく桜への悲しみを詠った黒主の短歌を偲んでいたのだ”と答えます。
- 続けて、老人は、昔は和歌が盛んであったことを話し、歌の徳を讃え、自分はもとは黒主と呼ばれていたが、今では山の神と人は見ていると言い、立ち去ります。
- (その老人は、(すでに志賀明神として祀られているはずの)大伴黒主だったのです。)
- 幻だろうか?
- 土地の者から志賀明神のいわれや、志賀の山桜について詳しく聞いた臣下は、夜桜の木陰で待っていると、天から舞歌の声が聞え、やがて志賀の山神である黒主の霊が現われ、平和でのどかな春を讃え、神楽を舞ったのでした。
-
- ※神楽(かぐら)は、日本の神道の神事において神に奉納するため奏される歌舞。
- ちなみに、この黒主山にのせる桜の造花は巡行後に授与され、家の玄関に飾ると家に悪事を入れないとされてます。
-
- 日本では古来より、桜の花には魔除けや邪気払いの力があるとされる。

▽ ▼ ▽
【10(殿)】大船鉾
- <2014年に150年ぶりに復活した後祭の象徴的存在>
- <殿(しんがり)>=最後尾
- ”凱旋”で、鎧を脱いだ狩衣姿(公家の普段着)の御神体>
- <船先に大金幣または龍頭(龍頭は2016年に復活)>
- <「安産」のご利益>
前祭の「出陣」船鉾に対を成す、「凱旋」船鉾。
- 前祭の船鉾同様、御神体の神功皇后は、実在が確認できる最初の天皇と言われる応神天皇(第15代天皇)の母であり、応神天皇を身ごもっているときに朝鮮半島に出兵し、勝利して帰国したという伝説(三韓征伐)(日本書紀)がモチーフ。
- 応神天皇は仁徳天皇(大阪の前方後円墳が有名)の父であり、源氏などに八幡神(武神)として厚く信仰された。
- その母・神功皇后は、神道の神・住吉大神のお告げを受け、朝鮮半島へ出兵、(神のご加護のおかげで)戦わずして勝利したと伝えられている。
-
- (最初は神功天皇の夫であるとされる当時の仲哀天皇(実在したかは不明)が神のお告げに疑問を呈したため罰が当たり急死し、急に身重な神功皇后が国を治めねばならなくなった。)
- ※一般的にはこの鉾は勝利後の凱旋船鉾なので、御神体の神功皇后は鎧を脱いでいるが、保存会によるとそれは後付けであって、日本の歴史上、戦争後の帰国中に鎧を脱ぐ習慣はなかったのではないかと考えられ(最後まで士気を下げないため)、鎧部分があったはずではないかとのこと。
- ※本来、<御神体>は前祭りの‟出陣船鉾”同様4体、<神功皇后>の他に、<副将>、<舵取り>、<水先案内人>もいたが、現在は失われ、調査中。
- 2014年に巡行に復帰し「後祭復活の象徴」となった大船鉾は、まだまだ完全型ではない。
- 船先に飾る「大金幣」は残っていたが、隔年で付け替えていた龍頭は紛失していた。2016年、ついにに大迫力の立派な「龍頭」が復活した。(今年は大金幣の年?)
- 2017年は「御神体である神功皇后の写し面」(人形の顔の部分のレプリカ)が新調された。
-
- 神功皇后は神様なので、そもそもその顔を一般公開してはならないのと、「本面」は極めて貴重なものなので、保存会の役員が厳重に保管・保護すべきだということになったらしい。
- これから何百年と伝えていかねばならない使命なのでしょう。
◇
◇
◇
基本的に後祭りは比較的ゆっくりと見学できるのが良さですが、去年の龍頭復活では、大船鉾の周りだけは他の倍くら
い人が集まっていました。四条通りからすぐということもあり、今年も混雑すると思われます。
◇
◇
◇
◇◇◇◇◇
※もう少し編集するかもしれません。
◇◇◇◇◇
前祭の詳細へと続く予定です。
祇園祭シリーズ
- 祇園祭がやってくる!2017(1)~前置き~
- 祇園祭がやってくる!2017(2)~祇園祭って何?~
- 祇園祭がやってくる!2017(3)~前祭の日程とまとめ~
- 祇園祭がやってくる!2017(4)~後祭の日程とまとめ~
- 祇園祭がやってくる!2017(5)~前祭のまとめ~(執筆中)
- 祇園祭がやってくる!2017(6)~今年の感想など~(予定)
piaVie!~ピアヴィー!では、ピアノを通して、忙しい日頃のストレスから解放された、音楽に包まれるひとときを過ごして頂きたいという思いでレッスンをさせて頂いております。マン・ツー・マンの個人レッスンですので、ご自分のペースに合わせたレッスンを受講していただけます♪
◇◆◇写真などの無断転載は禁止します。◇◆◇
コメントをお書きください