京都のある職人に捧げるレクイエム(祇園祭の陰で)

京の町に暑い夏がやってきた。

7月に入ると同時に祇園祭が

始まり、町の至るところで

祇園囃子が響いてくるように

なった。

今年は、20万人とも30万人

とも言われる人々が集まり、

連日35℃を越す猛暑と祭りの

熱気で、異様なほどの

盛り上がりを見せていた。

 

京都、いや日本が世界に誇る「祇園祭」。

 

その華やかな祭りの陰で、一人の職人がひっそりとこの世を去った。

彼は、長い間、町の人たちに毎日おいしいお豆腐を届けてくれていた豆腐職人だった。

夕暮れ時になると、「ピ~プ~」という笛の音とともに現れ、

その光景は、今ではほとんど見かけることのなくなったなつかしい日本の故郷の姿を彷彿とさせた。

雨の日も、嵐の日も、雪の日も、猛暑の日も、いつだって同じ時刻にその音は聞こえてきた。

お豆腐屋さんが届けてくれるお豆腐は、その日の朝早くから作られた新鮮なもので、いつも変わらぬその味は、夏は冷奴、冬は湯豆腐と、毎日のように我が家の食卓に並ぶ存在となっていた。

 

朝早くからお豆腐を作り、夕方になると町を売り歩く、

そんなお豆腐屋さんの日常に、この猛暑が少しずつ負担を

かけていったのかもしれない。

 

祇園祭の前祭がおわり、後祭が始まったある日、いつものように

お豆腐屋さんが来るのを待っていた。

しかし、「ピ~プ~」という音は鳴らなかった。次の日もその次の日も

お豆腐屋さんは現れなかった。

心配になって連絡してみると、昼間突然倒れて、その日の夜に帰らぬ人となったとのこと。

前日まで笑顔でお豆腐を届けてくれていたのに・・ショックで言葉がなかった。

 

京都で生活をするようになって、それまで縁のなかった日本文化や、老舗などに触れる機会も増えた。

しかし、私が最も感銘を受けたのは、お豆腐屋さんを始めとする

京都の町に生きる人々の姿だ。

自分の仕事に誇りを持ち、黙々と誠実に自分の役目を果たす。

一人一人が町を大切に守っている。

お豆腐屋さんは多くを語ることはなく、いつも穏やかな笑顔だったが、きっと頑固で信念を強く持っている人だったにちがいない。

それが、いつも変わらぬ味に表れていた。

そういう人の存在が、京の町の夕暮れ時に、「ピ~プ~」という音色と共に、一つの平和でなつかしい光景を作り出していた。

その光景を失った町は、今後いかに殺風景なものになっていくだろう・・と私は思う。

 

奇しくも、今年の長刀鉾の稚児に選ばれたのはこの地区の小学校に通う子供だった。稚児が巡行の晴れ舞台を立派に勤めあげた直後に、この町を長年支え、見守ってきた老人が、まるで若い世代にバトンタッチするかのように旅立った。

目に見えない不思議なつながりを感じた。

 

「まいど~。おおきに~。」お豆腐屋さんの素朴であたたかい笑顔とお豆腐の味を私はいつまでも忘れることはないだろう。

 

おとうふやさん、今まで本当にありがとうございました。

ご冥福をお祈り致します。