
ドイツで音楽を学び始めて数年が経った頃、パリを旅する機会があった。
初めて訪れるパリは、同じヨーロッパでもドイツの街並みとは随分異なる印象だった。
「華の都」と呼ばれるパリの街は、最初、全体がグレーがかってくすんだようなイメージだった。しかし、次第に、その一見地味で目立たないトーンの街並みが、華の都を輝かせるベースとなっている事に気がつかされた。
”凱旋門を中心に規則的に放射線状に延びた通り(エトワール)、シャンゼリゼ通りのマロニエの並木道は、初夏には青々とした新緑と赤や白の花が街を彩り、秋にはキラキラと黄金色に輝く葉が舞い落ちる。セーヌ川に映る木漏れ日の影…夕暮れ時には美しい夕日のグラデーションの空が街を覆う。夜になると漆黒の闇の中、淡いオレンジ色の街灯が、‘凱旋門’、‘エッフェル塔’、‘オペラ座’、‘コンコルド広場’などの建物を幻想的に浮かび上がらせる。”
‥まるで街全体がキャンバスのように、どんな色にも融けこみ、色彩を鮮やかに映し出したり、ライティングの効果で建物を幻想的に浮かび上がらせたりするのだ。
パリの美しさに触れ、そこにある”色、音、香り”など、「華の都」の雰囲気を全身で感じ取ろうとしていた私が最も圧倒されたのが、「ノートルダム大聖堂」だった。
セーヌ川に浮かぶシテ島に建つノートルダム大聖堂は、12~14世紀(1163~1345)、200年の年月をかけて建てられたゴシック建築の代表的な大聖堂である。外観はグレーがかった白で、見る方角によって違った印象を与える複雑な姿をしている。近づいてみると、外壁(ファサード)には、精巧で凝った彫刻や繊細な装飾がほどこされている。堂々とそびえ建つ姿は「白い貴婦人」と呼ばれ、その威厳ある佇まいは、美しく、そして少しだけ近寄りがたい感じがした。緊張しながら、重たい扉を開け、薄暗い大聖堂の中へ・・2,3歩進むと、突然目の前に華やかで息を呑むほど美しいバラ窓のステンドグラスが現れた。丸いフォルムは、外観の威圧するような雰囲気とは対照的に包み込むような優しさを持っている。その繊細なデザイン、上品で絶妙な色合い、優美さと華やかさを兼ね備えたバラ窓に、外から静かに自然の光が差し込み、その光が、大聖堂の中に美しく影を落とす…
‥あまりの美しさに呆然と立ち尽くしていると、荘厳な鐘の音が聞こえてきた。ミサが始まったのだ。オルガンの音と共に天使のような歌声が響き渡る…
「これがパリなんだ!」
ノートルダム大聖堂こそ、パリを象徴する存在だと私は実感した。
あれから長い年月が経ち、パリを訪れる機会も減り、ノートルダム大聖堂の事も時々懐かしく思い出す程度になっていた私が、久しぶりにその名を目にしたのは、先日起こったノートルダム大聖堂の火災のニュースだった。それは悲しみの瞬間だった。
「ノートルダムが燃えている!」
‥まさかそんなはずはない…
ノートルダムは「永遠」なのだ。
到底信じられない、信じたくない光景だった。
変わり果てた大聖堂の姿に涙が出た。
神様は、なぜ、こんな過酷な試練を与えるのだろうか?どんなに美しいものでも、形あるものはいつか失われてしまうのだろうか…?
しかし、ノートルダムはパリと共に生き、パリの街を800年以上見守ってきた。パリの人々の心の支えであり誇りであり、これからも共にあるべきだ。今後、パリや世界中の人々が、ノートルダムの復活のために持てる力を結集し、長い時間をかけて再建していくだろう。それは、時代が次の章に移り変わった事になるのかもしれない。以前のノートルダムとは同じものではなくなってしまうかもしれない。しかし、長い間守り、愛されてきたノートルダムへの思いを受け継ぎ、これからの人々が歴史をつないでいく、そして再びあの美しいノートルダム大聖堂がシテ島によみがえる時、それは未来につながる新しいパリの象徴となるはずだ。
私も、あの日、深い感動を与えてくれたノートルダムに感謝すると共に、再びノートルダム大聖堂が力強く美しくよみがえる日を、心より祈り、信じて待っている。