
ベートーヴェンの生きた時代は、ちょうどフランス革命(ナポレオンの出現)により、王侯貴族から市民へと社会の中心が移り変わっていく激動の時代でした。
”自由・平等・友愛”という、フランス革命の思想にベートーヴェンは傾倒し、自立した音楽家としてどのような身分の人とも対等であろうとしました。それまで、教会や王侯貴族の依頼を受けてTPOに合わせた曲を書く立場であった作曲家は、フランス革命以降、自分の作品を世に問う一個の独立した芸術家として確立されていきました。
”フランス革命に続くナポレオン率いるフランス軍によるウィーン制圧(軍事占領)など、ヨーロッパ全体が混乱に巻き込まれた時代…”
そのような時代だったからこそ、ベートーヴェンは世の中の人々に向けて、強く生きるためのメッセージを送り続けたのではないかと思います。
ナポレオンは、ベートーヴェンが期待していたような、”正しい指導者のもとに市民が皆、自由と平等を得て助け合いながら生きる社会” を作るのではなく、自らが皇帝になり、独裁者として君臨するようになりました。
そのため、ベートーヴェンは失望し、ナポレオンを讃え、彼の名をとって”ボナパルト”と名付ける予定であった”交響曲第3番”の表紙を破り捨て、”英雄(エロイカ)”に変更したと言われています。
結局、ヨーロッパ連合軍により、ナポレオンは失脚させられ、その後のウィーン会議によって定められたウィーン体制によって、ヨーロッパはナポレオン以前の絶対王政に戻ります。自由主義とナショナリズム(国民主義)は抑圧されることとなり、晩年のベートーヴェンの創作活動にも大きな影響を与えました。
ウィーン会議の後、ウィーンの人々は、一時的な享楽を求めるようになり、ロッシーニやイタリア歌劇がもてはやされるようになっていたため、ベートーヴェンの音楽は敬遠されるようになっていきます。ベートーヴェンの擁護者たちは、散り散りになり、経済的に支援してくれていた貴族の擁護者たちも相次いで亡くなり、経済的にも困窮していきました。
自由に語ったり考えたりすることを押さえつけられる時代に、ベートーヴェンは自分の思想を音楽を通して表現し続けました。
”言葉はつながれている。しかし幸いに音は今も自由です”(詩人クッフナー)
ベートーヴェンは、政府や官憲や貴族に常に公然と意見を述べ、自分のスタイルを変えることはありませんでした。
そして、自分の使命を果たすべく、さらに深く哲学的とも言える作品を作り続けていったのです。
”ベートーヴェンは偉大な、とらわれない声である”
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