受け継がれる伝統文化②~恩師の教えを受け継ぐ

私がミュンヘン音大に留学していた10代の頃、

恩師のレッスンは毎日のように続けられた。

 

当時学長という重職についておられたにもかかわらず、1回のレッスンで終わらなければ何度でも、ご自分の食事の時間も寝る時間も惜しげもなくレッスンのために費やして下さった。

ご自分の持っているものをすべて生徒たちに与えようという熱意、音楽に対する愛情、伝えていくことへの使命感など、言葉で多くを語らなくても、その存在はとてつもなく大きかった。

 

私はただ無我夢中で毎回のレッスンについていくだけだった。

遅くまでレッスンが続き、真っ暗になった冬の寒い夜に、最終の電車に間に合わなくなるからと、雪の中大急ぎで駅に向かう先生の後ろ姿が今でも忘れられない…

 

卒業後、コンサートを開催することになった際、周りはみなチケットの売れ行きや集客について心配していた。

しかし、先生だけは、コンサートを開催することを心から喜んで下さって、”たとえ誰も来なくても、私は必ず聴きに行くからね、一人の観客のためであってもすばらしい演奏をしなさい!!”としっかりと私の手を握って励まして下さった。

その温かく大きな手が、先生の生み出す温かくて豊かで深い音のヒントを私の手に渡してくれた気がした。

今思えば、先生は私のこともただの一人の生徒というのではなく、自分の音楽を受け継ぐ音楽家、次の時代に繋げる音楽家として尊重し、育てて下さったのだと思う。

先生は、ご自分が育てた生徒たちが卒業した後も、演奏を続けていくことを何よりも願っておられた…

 

あれから30年以上が経ち、ネット社会が主流となっていく中で、人から人へ直接伝えていくというスタイルは少しずつ失われていき、万人受けする音楽がもてはやされるような時代になったと感じる。音楽も商業的な価値で判断されるようになってしまった…

情報があふれ、価値観が多様化している現代、音楽の伝え方や楽しみ方もまた様々である。新しいスタイルやジャンルも生まれ、伝統や正統なクラシック音楽のスタイルは古くて堅苦しくて必要ないと忘れ去られていくのだろうか・・?

 そのような中でコロナ・パンデミックという思いもかけないことが起こり、世の中は一変した。

レッスンも演奏会も以前のようには行えない。

ホールやスタジオ、サロン、などの閉館も目立つようになってきて、芸術家の活動はさらに狭められ、個人の活動などはとっくに見捨てられ存続の危機に陥っている。

人から人へ伝え、人が集って楽しむクラシック音楽にとってその存在を否定されたも同然である。

この先、人から人へ受け継いでいかなければならない伝統芸術はどうやって守って繋いでいけばいいのだろうか?

もう続けていくことは無理かもしれない…とあきらめそうになることも度々ある。

しかし、その度に恩師が繰り返し言われていた ”弾き続けなさい!” という言葉が私を奮い立たせる。

クラシック音楽が人から人に受け継がれてきたバトンを、私も確かに偉大な芸術家である恩師から託されているのだ。

それを伝えるという使命と共に・・

 

 統を受け継ぐ、クラシック音楽の本質的なスタイルは変えてはならない。

作曲家からの作品を通して伝えられるメッセージは正しく伝えられるべきである。

どんなに時代が変わろうとも、基本が守られてこそ多様な表現が可能となるのである。

 

中村吉右衛門という偉大な歌舞伎俳優の生き様を通して、改めて忘れそうになっていた恩師の教えを思い出し、自分の使命を突きつけられると共に、弱気になっていた心に喝を入れられたような気持ちになった。

 その吉右衛門さんですら、コロナ禍で舞台がキャンセルになり、”舞台に立つことが自分の運命。舞台に立てない今は、自分は価値がないように感じる”とおっしゃっていた。

先代から受け継いだ芸を命をかけて演じ、伝え続け、人間国宝にまで認定された名役者が晩年に直面したコロナ禍。感染拡大とそれに続く長い規制により、今も度々休演を余儀なくされている舞台やコンサート。

日本を代表する芸術家からこのような言葉を聞かねばならない現状に、私たち芸術に携わる者はもっと危機感を持たねばならないと感じた。

 

  経験や勘を人から人へ受け継ぐことの大切さを失ってはいけない。なくなってしまったら、もうつくれない。(中村吉右衛門)

 ・・受け継いだ音楽家、芸術家がいなくなったらもう二度とつくれない

 

伝統を受け継ぐ者はどんなに苦しくても人に伝え、次に繋げる使命を負っている。

託された使命は一人の人間が背負うにはあまりに重い・・気がする。

しかし、過去の偉大な芸術家たちが人生をかけて繋いできたその重みをしっかりと心に刻んで、微力ながらもこれから変わりゆく時代に挑んでいこう!

 

2022年、新しい年が始まったが、今年こそはコロナも終息して、また自由に舞台やコンサートやライブを楽しめるような一年になることを祈っている。

そして、遅ればせながら、ぜひ京都の南座に歌舞伎を観劇に行ってみたいな〜☺️

 

中村吉右衛門さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

 (画像:マウリツィオ・ポリーニ http://mercuredesarts.com/2018/11/14/pollini_piano_recital-okouchi/)