悲しみのチャイコフスキー

 

ロシアのウクライナ侵攻が始まって数ヶ月、戦いはなかなか終わる気配がない。

毎日様々な情報が飛び交い、ロシアを一方的に非難するものもあれば、ウクライナ側の問題を指摘するものもあり、世界中を巻き込んでカオス状態となっている。

人と人が争い、大きな犠牲を生み出している事に心を痛め、一日も早く平和な日が訪れてほしいと願っている。

この戦争によって犠牲になっているのは、ウクライナの人々だけではない。クラシック音楽の世界でも、世界的に活躍するロシア人音楽家の演奏会が中止になったり、国内外でチャイコフスキーの曲の演奏を取り止める演奏会が出てきたり・・といった影響が広がっており、大きな危機が訪れていると感じている。

 

 2022年4月13日、”国際音楽コンクール世界連盟がチャイコフスキー国際コンクールを除名する”という衝撃的なニュースが飛び込んできた。

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チャイコフスキー国際コンクールは、プロの音楽家を目指す者ならば、一度は憧れ、目標とする世界で最も権威のあるコンクールの一つで、1958年より4年ごとに開催され、ヴァン・クライバーン、ウラディミール・アシュケナージ、ミハイル・プレトニョフ、アンドレイ・ガブリーロフ、ギドン・クレーメル・・など数々の一流の音楽家を生み出してきた。

ショパン国際コンクール、エリザベート国際コンクールと並んで世界3大コンクールと呼ばれている。

 

若い音楽家たちは、コンクールの舞台を夢見ながら、練習に明け暮れ、先生の厳しいレッスンに励み、ライバルと切磋琢磨し、家族のサポートを受けながら才能と実力を磨いて、チャイコフスキーコンクールに挑む。

コンクールでは難関の予選を勝ち抜いて本選に残った者だけがオーケストラとチャイコフスキーのコンチェルトを協演するチャンスを与えられる。

会場であるモスクワ音楽院大ホールの熱気に包まれ、オーケストラをバックにコンチェルトを演奏する・・チャイコフスキー国際コンクールのクライマックスであり、コンクールの勝者にとっての最高に輝かしい瞬間と言えるだろう。

その後、栄光を勝ち取った若い音楽家たちはチャイコフスキー国際コンクール受賞者という名誉に守られ、バックアップされて華々しくプロの音楽家としての道を歩み始める。

世界中の一流のホールで演奏会を開き、一流の楽器を演奏し、一流のオーケストラと共演をしながら、世界的な音楽家として成長し、名声を得てクラシック音楽の歴史に名を刻まれ、後世までその演奏は受け継がれていく…

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 ‥これがプロのピアニストとして活躍していくための理想的で最高のキャリアのスタートだと信じていた。

 

今回の除名について連盟は、チャイコフスキーコンクールがロシア政府の資金援助を受けたり、政府主催で開催されている事などを理由として挙げている。しかし、チャイコフスキー国際コンクールこそが、国際コンクールの地位を高め、王者として君臨し、若者に夢を与え、クラシック音楽の世界を華やかに彩ってきたコンクールではなかったのか?

 

国家間で争いが起こり、人々の間で憎しみや悲しみが生まれる。ロシアが関わっているというだけで悪い感情を抱いてしまう人もいるだろう。

しかし、音楽は本来、国や民族の違い、文化の違い、言葉の違いなどを超えて共感し、受け継がれてきたものではなかったか?

ましてクラシック音楽は、ドイツやイタリア、フランスを中心に始まり、音楽の形式(楽式)が作られ、それが受け継がれて東欧や北欧などヨーロッパ各地やロシアやアメリカへと広まり、独自の文化へと発展して世界各地で栄えてきた。長い歴史の中で、国境を越えた芸術の融合があり、国や民族ごとに切り離せない文化の結びつきがあると思う。

チャイコフスキーは、ロシアの音楽家の中でも、ドイツ・ロマン派を受け継ぐ作品を多く残している。ピアノコンチェルトはドイツ人ピアニストハンス・フォン・ビュローによって初演され世に出た。

 

“ピアノ協奏曲”、“ヴァイオリン協奏曲”、“白鳥の湖”、“くるみ割り人形”、”悲愴” …

ダイナミックさとなぜか懐かしさを感じる繊細でロマンティックなメロディ…

世界中の子どもから大人まで幅広い人々に愛されている美しい作品の数々…

子どもの頃、ピアノコンチェルトの壮大で切ない響きに心を震わせた時の事が私は今でも忘れられない。そんな感動をどれだけの人が共有してきた事だろう。どれだけの子供達がチャイコフスキーの音楽によって豊かな心を育まれてきた事だろう。

その人々の心まで踏みにじられてしまうのだろうか?

 

今回のように、戦争を理由にチャイコフスキーを始めとするロシアの音楽を切り捨てた場合、それは、チャイコフスキーの音楽を貶めるだけではなく、クラシック音楽というものが貶められ、結果として切り捨てた側の文化や芸術も衰退しまう事にはならないだろうか?

 世界中の文化に融け込んでいるクラシック音楽。その一部だけをその時代の人間の都合で切り捨てる事はできないはずだ。

 

チャイコフスキー国際コンクールとはこんなにも軽い存在だったのか?

これまで、コンクールの肩書きがすべてと言っていいぐらいクラシック音楽家のキャリアはコンクールに左右されてきた。それなのに、その中でも最も権威あるコンクールがあっさり除名されてしまった。これで良いのだろうか?

 

クラシック音楽が今日まで受け継がれてくる中には、先人の音楽家の魂を守り、伝えてきた音楽家たちの存在がある。命がけで戦った人がいる。

音楽の才能、演奏技術の完璧さ、それだけではない。クラシックの音楽家には、長い歴史の中で受け継がれてきた作品、楽器、ホールやサロン、教育、などを守り、発展させ次の世代に伝えていくというもっと大きな使命があり、国際コンクールの受賞者は最高の栄誉を受けると共にその先頭に立って率いていく使命を負っているはずだ。

しかし、そのようなメジャーな立場からチャイコフスキーやチャイコフスキーコンクールを守ろうとする声が上がらない現在、目の前でクラシック音楽の一つの大きな宝が失われていくようで悲しい。

 

雨の京都で今朝聴く悲愴は、チャイコフスキーの悲しみのメッセージか…

シトシトと降る雨は悲しく無力なピアニストの涙か…

 

クラシック音楽に未来はあるのかな?

もしあるとすれば、それはもうコンクールと共に歩む未来ではない…と私は思う。

 

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 チャイコフスキー ピアノ協奏曲 第1番 変ロ短調

リヒテル / カラヤン Tchaikovsky Piano Concert No.1 b-Moll

 https://www.youtube.com/watch?v=DGHHW5e_yR0

 

♪リヒテルは第1回チャイコフスキー国際コンクールの審査員で、冷戦下のソ連で、アメリカ人ピアニスト ヴァン・クライバーンの演奏を絶賛し、満点をつけ優勝に導きました。♪